
小田原史談会理事は平成26年より片岡永左衛門日記 昭和編の解読を始め、平成27年から会報に順次掲載してきましたが、平成30年11月より衣替え。星野和子先生を講師として招き「片岡永左衛門日記を読む会」を立ち上げ、更にこれを機会に理事だけでなく、一般会員も毎月第2月曜日の「読む会」に参加しました。
昭和2年1月から昭和9年末までの昭和編の日記を毎月1回、輪読して令和3年5月に約7年間で読み終わりました。令和3年11月に7年間の日記を1冊にまとめた「片岡日記 昭和編」を刊行しました。
大正の震災前の日記の大半は震災で消失していますが、辛うじて倒壊した家から出てきた大正10年1月から大正11年12月分については令和3年6月から令和4年3月まで輪読し、終了しました。なお、関東大震災後については既に『小田原史談』160号〜221号に収載して翻刻済みです。
令和4年3月からは明治35年4月からの明治時代の日記を引き続き、毎月第2と第4月曜日に「読む会」で輪読します。
順次、下記に記事内容をキーワードと短文とで記していきます。
片岡永左衛門日記 について
明治35年から昭和9年まで日記を記し続けた片岡永左衛門氏は、1860年(万延元年)小田原宿の本陣であった片岡家に生まれました。明治維新を経験し、明治22年新たな小田原町が誕生したその年に29歳の若さで町会議員となります。 以降、小田原町助役町長職務代理助役を歴任し、小田原町の行政に手腕を振るいます。明治38年助役辞任後は藤沢銀行(現在の横浜銀行の前身)小田原代理店長に就任しますが、この頃から郷土史家としての道を歩み始めます。

星野 和子
永左衛門氏の研ぎ澄まされた視点から書き続けられたこの日記は、まとまった近代の小田原を記した史料が現在殆ど残されていない中で大変貴重なものといえます。今まで断片的にしか利用されていなかった日記ですが、翻刻作業とともに全体像を探っていくことは大変興味深いと思います。
ご一緒に小田原町の出来事や雰囲気を感じ取ってみませんか。

片岡永左衛門日記
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「片岡永左衛門日記を読む会」最終回
令和6年6月24日に明治編の解読翻刻が完了した。これをもって「片岡永左衛門日記」の明治・大正・昭和のすべての解読翻刻が、平成26年(2014)に「片岡日記・昭和編」の解読を始めてから今年令和6年(2024)までの11年間で完了した。
明治45年7月30日 明治天皇崩御。
大正元年7月30日 大正に改元。
8月13日 永左衛門は日比谷公園前で明治天皇御大葬の轜車(きぐるま)を奉送する。
9月19日 昨日、乃木大将夫妻の葬儀。
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こぼれ話 第1回
今回から片岡日記の紹介記事の内容を変更して、「読む会」のメンバーが「片岡日記 明治編」を解読中に各々興味を持った事柄について書いたものを「こぼれ話」として掲載します。
第一話 貰子
明治三十五年 五月九日 辰晴
午前農商務省水産局技師□川温氏来場。(中略)同氏は今度九州の沿岸を視察せられたりとて種々談話せられし中に、邦人の朝鮮海に遠洋漁業する漁者は貰子多くして実子少なしと。人情は左も有べし。航海業も非常に発達し、釜山よりは風波有も和製漁船にて十時間にて来航せりと。
「貰子って何?」の質問がどなたからあったので、福島さんが答えてくれました。
「私が生まれ育ったのは新玉本源寺付近。近くの古新宿には同級生が沢山いて、古新宿は江戸時代に入る前から鮪漁が盛んだったこと、昔はかなり貰子が多かった話を聞いてます。『専漁の村』(万年公民館十六区自治会)にも書いてありますよ。なぜ貰子が多かったのか。古新宿は高知・御前崎と並んで三大水揚げ地と言われていた頃があり、近海だけでなく歯舞色丹、宮崎あたりまで漁に行くんですよ。しかし大正になって発動機の時代になると海難事故が多い、だから死亡事故多い、これも貰子が多い原因だと思うんです。」
なるほど、小田原にも貰子がいたのか、と興味を持ち少し調べてみました。引用ばかりで肩身が狭いのですが紹介しましょう。
まず、福島さんに紹介していただいた『専漁の村』に内田哲夫さんの研究ノート記述があります。
昔仲のよかった船持ちの友だちの家に遊びにゆくと(中略)家族なのにみんな苗字が違
い、長男の彼が倍も年の違う人を呼びすてにしているのを何とも思わなかったが、後にあ
れが「貰いっ子」だと聞かされた。後年地方の少年に「千度小路っておっかねえとこだな、
子供のころいたずらすると、千度小路にやっちゃうぞと脅かされたもんだ。」(中略)此の
風習は一般的には労力の補給のためで、子供を出す農村では〝口べらし〟の為であった。
更に、川崎長太郎の次の小説を見つけたので冒頭部のみ紹介しましょう。小説とはいうものの自身の体験に深く基づいたものと推察できます。
『うろこの記録』
旧幕時代の末期。
近在の水呑百姓の三男、太次兵衛は、牛の背中にのり、小田原の漁師与五兵衛丸へ、貰
い子として、買われて行った。与五兵衛丸は、姓をのちに川崎と言い、現在でも、小田原
の漁師仲間に、相当な羽振りをきかしている。当時も、帆を掛けて、三宅、八丈あたりま
で、漁に出るマグロ船その他もつ、浜で指折りの船持ちであった。船子は、大概、零細な
金で、貧乏人から買いとった者達で、読み書きなどは滅多に習わぜず、沖へやって、はた
ち過ぎれば、女房をもたせ、長屋の一軒も当てがい、終生、自家の船へ乗り込ませる仕組
であった。与五兵衛丸のみならず、浜の船持ちは、すべて貰い子により、働き手の補充を
はかってきたもので、この風習は、ずっと大正時代の始め頃まで、小田原の浜に残ってい
た。(後略)
このように一口に「貰子」と云っても、明治から大正にかけて小田原にもあった、農村と漁村の構造的な問題であったことが浮かび上がってきます。(松島俊樹)
第二話「早かった!活動写真上映」
明治三十五年 四月二十二日
午前二時頃、警鐘乱打に目覚れば、南方に当り火光甚しく且強風吹ければ、大火に至らんも知れざれば町役場にかけ付、書記を引連れ劇場富貴座を避難所に徴発し、現場に至れば四戸を焼失して鎮火せり。実に不幸中の大幸なりし(後略)
火災が発生し、避難所を強制的に富貴座にしたと記しています。「富貴座」?? 劇場? 寄席? 映画館? 明治時代に映画館? 歴史に疎い私の頭は、疑問符でいっぱいになりました。
日本最初の活動写真が公開されたのは明治32年(1899)。場所は東京歌舞伎座。
では、小田原にはいつ「活動」がはいってきたのでしょうか。『小田原市史』をめくって、びっくり。明治35年(1902)には公開されているのです。歌舞伎座で初公開されたわずか三年後のことです。早い!「新たな時代が駆け足で小田原の町にもやってきた」という印象を持ちました。
当時は「活動写真」(単に「活動」とも)と呼ばれていて、「映画」と言われるようになったのは大正になってからとか。
さて、日記に出てきた「富貴座」はというと、明治14年(1881)「幸座」として開業。その後火災で焼失。明治26年(1893)に「若竹座」として再建されたものを引き継ぎ、明治29年(1896)には「富貴座」と改名されています。大正4年(1915)に映画の常設館になるまでは、各種の興行が行われていたようです。
松井須磨子による「復活」(カチューシャの唄)が大正3年(1914)に富貴座で上演されたことも驚きでした。
昭和33年(1958)に火災で使用不能になっていなかったらと、考えてしまいました。
映画史を調べてみるのも楽しそうだよと、片岡さんがヒントをくれた気がしています。(大井みち)
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第62回
2023年5月8日 実施
資 料
明治39.3.4~明治39.3.31
担当 雨宮
内容事項
二宮尊徳翁伝記編輯ノ為メ栢山村ニ滞在ノ留岡幸助氏ヲ訪問/ 本年ノ如キ降雪ハ古老モ未タ知ラサル由/ 隣家小原良三凱旋祝宴/ 郡会ニ於テ戦捷紀念トシ久野村・吉浜村ニ三百町歩殖林ヲ決議/ 御用邸ニ参邸セシニ両殿下御帰京在セラル旨ニテ御菓子及金五百疋ヲ賜/ 山王原海岸ニテ曳網ヲ両殿下ニ御覧ニ供シ/ 足柄下郡銀行同盟会ニ出席/ 小学校生徒製作品習字・図画・作文ヲ両殿下ノ御覧ニ供セリ/ 両宮殿下御帰京ニ付国府津停車場ニ奉送ス。町長及惣代三名ハ東京ニ奉送ス/ 露木真作凱旋/ 凱旋歓迎モ華美ヲ競ヒ、歓迎籏モ緞子・縮緬等ニテ調成シ、一流ニテ弐、参拾円以上四、五拾ヲ費スモノ有リ/ 小沢清兵衛方報徳会ニ至リ/ 第二中学校第一回卒業証書授与式ニ列席/ 入校者ハ八拾弐名、本回卒業者ハ三十九名/ 小田原町改良漁業組合改良漁船小田原丸ヲ進水/
担当 福島
明治39.2.4~明治39.3.4
内容事項
小学校内同窓会図書室ニ書籍ヲ借用/ 出征兵士凱旋ヲ歓迎/ 凱旋歓迎ハ援護会ニ於テハ毎月廿五日ヲ歓迎日ト定メ、凱旋セル兵士ヲ一纏トシ、全町ニ通知シ松原社ニ於テ万歳三唱シ歓迎/ 凱旋歓迎ハ一回毎ニ華美トナリ、身分不相応ニ地走等ヲナシ、又知己ヨリハ歓迎籏ヲ送ルモ、其価壱流ニ付少キモ壱円ヨリ多キハ拾五円位ヲ要シ/
小学校生徒一同ハ御用邸ニ参賀セシニ両内親王殿下御出御有リ。各生徒ニ半紙二折宛ヲ下賜有リ/ 貯蔵蜜柑手入/ 御用邸ニ於テ筑前琵琶ノ演奏有リ参邸/ 大海嘯義捐ノ返礼ヲ意味ナス町長首唱ノ東北地方凶作地義捐勧募ノ書面送レリ/ 小田原青年監開庁式/
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第61回
2023年 4月24日 実施
資 料
明治39.1.4~明治39.2.4
担当 別生
内容事項
二女出生/ 山田吉兵衛氏ニ本行宮ノ下代理店引受ヲ懇談/ 英国アームストロンク社兵器製造分工場及海軍造兵所用地ニ平塚ノ御料林ヲ伐栽/ 松原神社例祭ハ戦捷祝賀トシテ十四・十五・十六トシ、各町共花車家台ヲ引出シ家前ニ幔幕ヲ張リ近年希有ノ大祭ナリ/ 東京ヨリ斉藤三平氏来会御洗初会ヲナシ/ 常宮・周宮両殿下当御用邸ニ御避寒ヲ国府津停車場ニ奉迎/ 店員新年会ヲ柏又楼ニ開キ/ 御機嫌伺トシテ御用邸ニ伺候シ、両殿下御用掛リ加賀美光賢殿・任佐々木伯爵夫人面接/
担当 居原田
明治38.12.16~明治39.1.4
内容事項
満州軍大山大将以下上野歓迎場凱旋式ヲ観覧/ 各連隊旗ハ完全ノモノ無ク、只旗ノ周縁計リ纔ニ残レルヲ旗手ノ奉持/ 桜馬場柑橘園貯蔵小屋普請/ 出征軍人凱旋ノ歓迎/ 行員ト忘年ノ小宴/ 拙者助役在職中ノ功労ニ対シ町会ノ決議ヲ以テ感謝状及金百円ヲ持参/
授領セシ金百円ヲ父君ノ霊前ニ備ヘタリ/ 本期ハ好成跡ニテ本期賞与拙者ニ金弐拾五円及店員一同ニ夫々本店ヨリ贈与セラル/ 小学校拝賀式ニ参列、新年会ニ列席/ 松原神社ニ於テ凱旋ヲ歓迎。神酒神杯ヲ凱旋者ニ授与/ 老母・親一・龍夫・拙者四人辻村写真店ニ撮影/
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第60回
2023年 4月10日 実施
資 料
・西岡兪明(にしおかゆめい)について
・アームストロング社と平塚
明治38.11.20~明治38.12.16
担当 青木
内容事項
隠岐陸軍少将ノ凱旋ヲ新橋停車場ニ歓迎/ 二宮尊徳翁五拾年紀念会ニ参列/ 今井廣之助県会出勤中ノ処、暴漢ノ為メ負傷/ 小峯ニ執行ノ出征軍人家族援護会ノ主催戦病死者追悼会ニ出席/ 温州ヲ東京ニ出荷/ 宅ニ於テ報徳談話会ヲ添田氏等五氏と発会。翁ノ御教諭・御仕法・夜話等ヲ講読シ、社員各自ノ窮行談ヲナス事ト決シ/ 出京、御洗席・吉川先生夫人ノ会葬/
担当 府川
明治38.10.22~明治38.11.19
内容事項
東京市ニ於テ連合艦隊ノ歓迎有リ/ 海軍機関大監関重忠氏等小田原出身軍人ノ凱旋歓迎祝宴/ 小田原町教育総会ニ出席。西岡諭(逾)明氏等ノ演舌有リ/ 平塚ニ英国アームストロンク会社枝工場ノ計画/ 柑橘採収ニ桜馬場ニ至リ/ 戦没者葬儀/ 御洗席ニ出席/ 宮ノ前ニ凱旋門落成シ二百二十個ノ電灯ヲ点シテ壮麗/ 陛下ノ伊勢内宮ニ御参拝ニ依リ各官庁ニ休暇ヲ賜リ、当行モ休業/ 尋常小田原小学校ニ於テ学芸会開会シ出席。会ハ生徒ノ修得セシ学芸ヲ実地ニ応用セシムル主旨/ 陛下神宮御参拝御還幸奉送トシテ国府津ニ出張/ 足柄下郡銀行同盟会ニ出席ス。藤沢貯蓄銀行支店ハ今回始メテ加盟/
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第59回
2023年 3月27日 実施
資 料
・明治38年(1905)8月30日報知新聞号外記事
・明治38年(1905)9月6日昨日日比谷公園における国民大会紛擾記事
明治38.9.13~明治38.10.22
担当 松島
内容事項
弘道会協議会ニ出席/ 援護会委員会ニ出席、助役岩田尚恒氏ヲ副会長ニ選挙/ 今井四郎助氏亜弗利加ターハン港ニ渡航ノ為メ出立/ 小田原教育会副会長及小田原小学校殖林会副会長ノ辞任書提出/ 報徳二宮神社々掌草山貞胤氏ノ追弔会ニ参列/ 新旧助役送迎会ニ出席/ 軍用缶詰製造所ハ日露講和ニヨリ製造ヲ中止/ 戦死者葬儀/ 行員一同第一回遠足会/ 川崎ニ下車ニ際シ来航英国艦隊将卒之帰途ニ逢フ/ 吉浜ニ至リ村長向笠省三氏ニ面会、借地買取リ交渉、鍛冶屋開墾地ニ至リ/ 入営ノ店員二名送別会大磯招仙閣ニテ開キ/ 大観艦式挙行、其他海軍歓迎等参観之為メ上京スル者多ク気車混雑/
担当 山口
明治38.8.13~明治38.9.13
内容事項
報徳二宮神社々掌草山貞胤氏病死/ 報知新聞号外ノ日露講和条件/ 我国ハ講和ヲ希望ノ事情ヲ有シ、償金ノ請求撤回シ樺太割取ヲ以テ終結スルノ止ヲ得サル/ 后任助役ニ岩田尚恒氏ヲ選挙/ 藤沢貯蓄銀行ハ本店藤沢町藤沢銀行内ニ有リ、藤沢銀行ハ資金弐十万円、支店ヲ横須賀・大磯ニ置キ、当支店ハ支店長則チ主任一人・店員三名・小使一人/ 日比谷公園ニ於ル国民大会紛擾ノ余波ヲ思召シテカ、本日当地御通過ニテ御帰京ニ相成可キ冨美宮・泰宮内親王殿下ハ御帰京御延行/ 藤沢本店ニ至リ重役諸氏及店員ニ初対面/ 拙詠ノ大日本歌道奨励会出版ノ忠烈歌集ニ編入セラタリ/
憲政本党ハ此期ヲ利用シテ党勢ヲ拡張セント其方針ヲ一変シ講和ニ対シ政府ヲ攻撃/
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第58回
2023年 3月13日 実施
資 料
・地図 熊野川・北山川付近
・地図 紀伊半島 和歌山市 高野山・九度山
明治38.7.26~明治38.8.12
担当 田和
内容事項
七月二十六日~三十一日 串本~汐見崎村(潮ノ岬)~串本〔止宿〕~(太平洋)〔汽船〕~古川(和歌山郊外)~〔人力車〕~和歌山〔止宿〕(和歌山城天守閣・和歌山商品陳列所・和歌ノ浦・南龍神社・東照宮・紀三井寺)~〔汽車〕~高野口~〔人力車〕~椎出~高野山(女人堂・不動堂・大師廟堂・金剛峯寺本堂)~椎出~〔人力車〕~高野口〔止宿〕~〔汽車〕~奈良(奈良県産物陳列所・博物館・興福寺)~〔汽車〕~名古屋~〔車中泊)~国府津。 道中無事帰宅ス/
助役辞任認定通知書ヲ落手/ 郡役所等ニ在任中ノ謝辞。役場ノ場員ニ告別/ 藤沢貯蓄銀行小田原支店至リ取締役足立留二郎氏ニ面会/ 試験所ノ若林高久氏ニ柑橘剪定ヲ質問/ 小田原支店員等ト自宅ニテ小宴/ 万町防波堤資金預リ券、西海子定期預リ証等ヲ町長ニ引渡/
担当 早野
明治38.7.22~明治38.7.26
内容事項
七月二十二日~二十六日 入鹿村丸山~小河口~(北山川)〔渡船〕~木津呂~(北山川)〔渡船〕~玉置口~(瀞峡巡り)〔船〕~玉置口〔止宿〕~竹筒~(北山川)〔船〕~宮井~(十津川)〔渡船〕~河合~〔渡船〕~小津荷~(十津川)〔渡船〕~請川~本宮(熊野坐神社(熊野本宮))~請川~川湯〔止宿〕~請川~(十津川・新宮川・九里峡)〔船〕~新宮(熊野速玉神社)〔止宿〕~(人力車)~浜ノ宮(神武天皇頓宮跡・熊野三所大神・補陀洛寺)~井関~那智山(熊野夫須美神社(熊野那智大社)・青岸渡寺・飛滝神社・那智ノ滝)~天満~湯川〔止宿〕~大地~(蜂ノ巣壁)~浦神~古座~(古座川)〔渡船〕~西向~(橋杭岩)~串本(紀伊大島)
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第57回
2023年 2月27日 実施
資 料
・紀伊半島地図
・片岡永左衛門の伊勢志摩(鳥羽~尾鷲)旅程
・伊勢志摩旅行中の明治38年7月11日天気図(デジタル台風:100年天気データーベース)
・日本海海戦当日明治38年5月27日天気図(同上)
明治38.7.18~明治38.7.22
担当 今宮
内容事項
七月十八日~二十二日 田曽~(五ヶ所湾)〔船〕~三浦~大江~慥柄(たしから)~贄(にえ)~東宮~奈屋浦〔止宿〕~東宮~河内~神崎~古和~棚橋~錦峠~錦浦〔止宿〕~(錦湾)〔船〕~名古~二郷~長島港~(熊野灘)〔船〕~白浦~矢口~(尾鷲湾)〔船〕~尾鷲〔止宿〕~八鬼山(三宝荒神ノ社)~三木里~(賀田湾)〔船〕~曽根~大泊(鬼ケ城の岩屋)~田村坂~木本〔止宿〕~〔人力車〕~有馬(獅子岩)〔人力車〕~神木~尾呂志~入鹿村丸山(棚田)
担当 大井
明治38.7.8~明治38.7.18
内容事項
戦死者葬儀/ 町議会代表ヨリ助役留任勧告サレルモ辞任ヲ懇請/
暫ク小閑ヲ得タレハ年来心ニ掛タル熊野ノ勝ヲ尋ント俄ニ思立チ、
七月十五日~十八日 国府津~〔車中泊〕~名古屋~〔汽車〕~山田(外宮・内宮)~〔馬車〕~山田町電気鉄道停車場~〔汽車〕~二見~〔人力車〕~鳥羽~日和山~鳥羽~〔汽船〕~(英虞湾)波切〔止宿〕~宮山(八大龍王社)~大王崎~船越~(英虞湾)〔船〕~多徳島(御木本真珠貝養殖所)~〔舩〕~浜島〔止宿〕~田曽
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第56回
2023年 2月13日 実施
資 料
旅順陥落祝勝イルミナーションの古写真
片岡日記明治編余報 御殿場馬車鉄道・都留馬車鉄道・富士馬車鉄道。
明治38.6.4~明治38.7.8
担当 田口
内容事項
今井廣之助氏ニ助役辞任書撤回スレトモ出勤ハ拙者ノ随意ニ任セラレ度旨ヲ回答セシ/
戦死者葬儀/ 霖雨ニテ晩麦及小麦ハ発芽スルモノ多ク平作ニ不及/
赤痢発生ニヨリ避病院開院/ 梅ノ実非常ノ不作/
担当 鳥越
明治38.5.24~明治38.6.4
内容事項
五月廿七日 ~三十日 高世氏老母病気見舞ニ御殿場ニ下車。大坂ヨリ習志野ニ転送ノ露国捕虜ヲ見ル/ 御殿場鉄道馬車ニ乗ラス御殿場ヨリ篭坂峠迄歩ク。篭坂峠ヨリ小沼マデ都留鉄道馬車ニ乗車。小沼ニテ富士鉄道馬車ニ乗替エ谷村ニ止宿。鉄道馬車ニテ谷村ヨリ田原ノ滝カラ吉田ニ戻リ、河口湖ニテ舟ニ乗ル。吉田浅間神社ニ賽ス。馬車ニテ御殿場ニ帰着。 駿東郡二ノ岡村七社神社賽ス。外国人避暑家屋/ 露国太平洋艦隊全滅ノ号外/
佐々木伯帰京トノコト故訪問/ 加藤町長ニ辞任書提出/ 鈴木英雄氏結婚披露招待有リ/
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第55回
2023年 1月23日 実施
資 料
明治38.4.29~明治38.5.24
担当 雨宮
内容事項
鍛冶屋ヨリ竹山ヲ経テ日尻山(聖岳)ヲ右ニ見湯本上ヨリ畑ノ平ヲ過キ、三枚橋ニ至ル/
第五回国債募集/
征露戦没ノ将士ヲ靖国神社ニ合祀大祭挙行ニ付、当御用邸ニ於テモ祭壇ヲ設ケ両殿下御親祭有リ、特ニ拙者ニモ参拝ヲ差免サレ参邸。祭壇ニハ蒐集ノ戦没将士写真ヲ置ク/
防波堤築造委員会ノ事務ヲ終了/ 宮ノ下ニ入浴ノ観戦独逸皇族カール・アントン親王殿下/ 缶詰製造所落成ニ付移転/ 御用邸ニ伺候シ佐々木伯ニ援護会旗揮毫ノ謝礼ニ柚餅ヲ贈呈/ 改良漁業組合創立総会。本会ハ松魚(カツオ)漁開始シ、進ンテ遠洋漁業ヲナスノ計画/
御用邸ニ参邸シ、両宮殿下帰京ニ付金百円ヲ当町ニ、拙者ニも金千五百疋ヲ下賜有リ/
戦死者ノ葬儀/ 援護会委員一同西村氏(御感ノ藤)ニ至リ観藤ノ宴ヲ開ク/ 尋常学校内御真影奉安所予定地ニ両殿下ノ御手植/ 加藤町長ニ助役辞任ヲ申出/
両宮殿下帰京ニ付見送リ供奉ナセシハ当郡長以下十八名。両宮殿下ハ御殿縁側ニ御出座セラレ御庭拝見ニ托シ暗ニ拝謁ヲ賜ル/
五月十六日~廿一日 上野公園ノ絵画展覧会ヲ見ル。靖国神社ヲ参拝、遊就館ニ戦利品ヲ観覧。 日比谷公園散歩、両宮殿下御生母ノ実父園基祥伯同行新宿御苑拝観。 駒込働坂薔薇新ニテ薔薇ヲ買、巣鴨ニテ盆栽観覧、大久保躑躅園散歩/ 品川妙華園ノ温室栽培西洋花木観覧。 蒲田菖蒲園観覧。 矢口村ノ新田神社・十寄神社、池上本門寺参詣。六郷ノ農科大学果樹園観覧/
担当 福島
明治38.3.27~明治38.4.29
内容事項
両殿下ヨリ出火被害者ニ金三拾円御下賜。佐々木伯ヨリ金二千疋ヲ贈与/ 両殿下ハ当町八十歳及九十歳ノ高齢者十六人ニ御菓子ヲ贈ル/ 第四回国庫債券/ 両陛下ヨリ下賜ノ御菓子ヲ佐々木高行伯ヨリ菓子弐個ヲ分与有/ 応招者ヲ国府津停車場ニ送ル/
本年度徴兵検査、壮丁百五十五人ニシテ甲種ニ五十人乙種ニ二十一人合格セリ。時局ノ為メ合格者丈ハ五尺ナリシヲ四尺九寸ト改正シ、多数ノ合格者ヲ出シタリ。
両宮殿下石垣山古城跡ニ御成ニ供奉/ 桜馬場柑橘園ニ至り剪枝/ 接木師ネ―フルノ接木/
今井氏ハ新聞業ノ件ニテ上京。同氏ノ新聞社ニテ戦地通信員ヨリ聞及タル戦況/
義勇艦隊(戦時補助船舶)設立費募集/ 板橋水利委員協議会/ 御用邸ニ三好宮内属ニ面会書籍ヲ貸与/ 応召者ヲ町境ニ送り/ 戦死者葬儀/ 露艦隊来航ニ付、漁師惣代ニ訓令ヲ伝達/
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第54回
2023年 1月 9日 実施
資 料
明治38. 3. 7~明治38. 3.27
担当 別生
内容事項
奉天・旅順占領ノ祝捷提灯行列ヲ挙行シ一同御用邸ニ参邸シ、祝捷会ニ御下金賜リ、当町出征戦病死者十三名ノ霊位ニ御備物料金賜ル/
桑嶋氏出張ニテ小黒ヨシ方ニテ淘宮術御入門ヲ了シテ御洗席ニ出席/ 加藤町長ノ長男醇氏ノ奉天付近ニ於テ重傷/ 先ニハ二男洋氏戦死シ今又此報有リ、気毒ノ至リナリ/
御用邸ニ伺候シ、宮殿下初御参内ニ付御祝儀トシテ皇太子殿下ヨリ両宮殿下ニ御贈与ノ鶴ノ子餅一重ヲ役場ニ御用邸ヨリ御下賜之御礼ヲ申上タリ。/
小学校生徒ノ祝捷旗行列ヲ挙行シ市中ヲ煉行キ、御用邸ニ参邸シ、遊技ヲ御覧ニ供ス/
出征家族援護会旗出来ニ付御用邸ニ持参シ、殿下御覧シタリ/
高等小学校・尋常小学校卒業証書授与式ニ臨席。本年ハ定期試験励行セシ為メ昨年比シ落第生多数/ 陸軍歩兵少尉加藤洋君葬儀/
幸町壱丁目ヨリ出火セシカハ直ニ御用邸ニ伺候シタリ。旧補修校ニ飛火シ十一戸ヲ焼失シ鎮火。先年種々ノ苦心ヲ以テ設立シタル補修科ハ今此校舎ヲ焼失シタルハ女子教育頓挫ヲ来ササルヤト心痛ノ至リナリ/
担当 居原田
明治38. 2.12~明治38. 3. 7
内容事項
旧時小向井ハ有名ノ梅ノ産地ナリシカ、梨ノ利益梅以上ナレバ梅樹ヲ伐採シテ梨樹ヲ栽植/
充員応招者一名出立/ 応招者ヲ町堺ニ、又国府津ニ送ル/ 芸妓屋ハ料理店ト尖突シ休業届出ニ付警察署長ニ面会/ 御用邸ニ伺候シ両殿下松原神社及海岸ニ御成ニ付供奉/ 料理営業者・芸者屋営業者ヲ町役場ニ招集シ中裁ニ付和解/ 霊鷲行(漢詩)并引/
国府津ニ町長次男加藤少尉ノ遺骨ヲ迎フ。御用邸ヨリ三好宮内属モ同行/
宮ノ下富士屋主人ノ外国人ヨリ聞処ニ依レハ、英米両国我国ニ同情寄セルモ、政府ハ我国カ大勝シ列国ノ均勢ノ変ルヲ恐レ平和ノ意アルト雖モ、紳商輩ニ於テハ露国ヲ東亜ヨリ駆逐セサレハ事業ヲ起シ利益ヲ得ル不能サレハ我国ヲシテ其鋒ニ当ラシメントノ意思ヨリ未タ平和ヲ望ムニ至ラストノ説有リト。我国人モ東亜急先鋒トナリ満韓地方ノ事業ヲ計画ナセハ有利ナルヘシト/
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第53回
2022年 12月 26日 実施
資 料
明治38. 1. 3~明治38. 2.11
担当 青木
内容事項
旅順降伏祝捷ノ小学生徒ノ旗行列、全町祝捷提灯行列、電車会社本社前のイルミナーション・イルミネーション電車ノ運転/ 両殿下ヨリ鷲ノ挨拶トシテ賜リタル酒料金ヲ以テ援護会旗ノ調製ヲ決議/ 樟樹栽培組合創立ノ協議/ 松原神社例祭/ 板橋水利事件仲裁申込協議/ 戦病死者葬儀/ 車輛調達命アリ車輛数調査/ 二宮先生事跡取調ニテ留岡幸助氏来訪/
家屋税視察トシテ大磯・鎌倉。横浜ニ出張/ 国府津ニ周宮・常宮殿下ヲ奉迎/
担当 府川
明治37.12.23~明治38. 1. 3
内容事項
充員応招者ヲ町境ニ見送リ/ 慰問袋ヲ辻村氏ニ送付/ 御用納ニ付役場員トノ小宴/
出征者遺骨ヲ国府津ニ出迎/ 凱旋ノ東郷大将上村中将通過ニ付歓迎ニ国府津ニ至ル。三人ノ将校遺骨ヲ各未亡人ノ持下車セラルルニ両将ハ車室ヨリ降立チ決別ノ礼セラル/
中山利喜三方桐樹ニ鷲ノ居ルヲ発見シ、西村元吉打止ル。露国ノ記章ナル鷲を元旦ニ取挫タルハ戦勝ノ吉兆ナリト大ニ喜ヒ/ 両宮殿下ノ高輪御殿ニ小田原町援護会ヨリ鷲ヲ献納シ、吉兆ナリトテ殿下ノ御意ニ叶イ御酒、御酒料ヲ賜リ/ 殿下ハ宮城に差上、陛下モ御満足ニ思召サレル/ 旅順降伏ノ電報有リ。諸人驚喜セリ/
乃木大将ノ旅順攻囲戦術ト二〇三高地ノ戦闘ヲ知人ヨリ伝聞。二〇三高地ハ砲撃観測所ナリ/
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第52回
2022年 12月12日 実施
資 料
留岡幸助 須永傳蔵
明治37.11.22~明治37.12.23
担当 松島
内容事項
援護会委員会川崎氏葬儀決議/ 向笠十韓国ニテ京釜鉄道ニ就職/ 鍛冶屋開墾地ノ小沢文蔵倅小作未墾地引揚、仝地ヲ徳次郎ニ貸与/ 出征軍人葬儀、例之通リ行装/ 加藤町長三男陸軍歩兵少尉加藤洋氏旅順方面ニテ戦死ノ電報/ 細君ハ出征者慰問袋募集/ 慰問袋ハ紙製ノ袋ニ手拭・ハンカチーフ・絵ハカキ・糸・針・ハミカキ・雑誌等金拾五銭内外ノ物ヲ封入/ 出征者遺骨迎ニ国府津ニ/ 出征者ヲ国府津ニ見送リ/ 本日出征者ノ兵種ハ第一国民、三十五以上ノ者ナレハ家族ノ生計ニ困難ヲ来ス者多ク/ 出征者ヲ町堺迄見送リ/ 負傷後送予備少尉堀氏談話ノ旅順二百三高地戦闘ノ模様/
担当 山口
明治37.10.22~明治37.11.21
内容事項
出征者遺骨迎ニ国府津ニ/ 陸軍病傷兵ニシテ全快ノ者ハ一時帰省シ快癒ノ者ハ再招/ 山王川尻西方ニ屈曲シ正直ニ掘割シニ酒匂村民ヨリ苦情/
留岡幸助氏ヲ内務省ニ、午后巣鴨家庭学校ニ訪問セシニ旅行中。報徳ハ世界唯一ノ富国安民ノ良法ナレハ、留岡氏ハ先生ノ事績ヲ取調、材料蒐集。同事案扶助ノ為メ材料ヲ与エント訪問/ 二宮先生事蹟調査ノ為堀江義柄氏ヲ訪問/
国府津ニテ午前三時五十分通過ノ騎兵中尉加藤氏面会、出征歓送/ 第三回国庫債券応募勧誘/ 出征者葬儀/ 明日出征者ノ自宅訪問/ 出征者ヲ国府津停車場ニ送ル/ 傷病ニ依リ後送ノ当町出征者ニ面会/
箱根ノ紅葉ヲ見ント汽車ニ乗リ御殿場ニ下車シ、ヲトメ峠、仙石原、海尻ヨリ乗船、元箱根、芦之湯、畑ヲ経テ湯本ヨリ電車ニ乗リ帰宅/
金鶏勲章功五級勲五等旭単光章ヲ川崎中尉未亡人ニ贈付/ 海嘯義捐金ヲ分与。本日ヲ以テ結了/ 内務省ニ報徳ノ件ニテ留岡幸助氏、参事官井上友一氏ト会談/
群馬県強戸村ノ前仙石原村長兼同村選出早川水利組合委員須永傳蔵氏ノ葬儀/ 足尾鉱毒/
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第51回
2022年 11月28日 実施
資 料
開戦から日本海海戦まで激闘500日間の記録
明治37.9.19~明治37.10.22
担当 田和
内容事項
防波堤増築ノ件ニテ出張/ 各町出征者家族ヲ訪問/ 国府津ニ出征者見送リ/ 留岡幸助氏報徳ノ調査ツキ報徳神社ニテ面会/ 報徳社中例会ニ出席/ 海嘯義捐金残額金壱千三百五十八円ヲ神奈川県庁ヨリ下付/ 本年度小田原町兵役証書到着、合計九十三人ナリ/ 高田氏広島予備病院ニ於テ脚気病ニテ死亡。遺骨ノ迎ニ国府津ニ/ 高田氏葬儀ハ学校生徒、消防組楽隊、喪主、親族、郡長、警察署長、県会議員、各村代表者、会葬者凡千八百人ニシテ送葬/ 奉天遼陽間ノ戦況捷報号外/
担当 大井
明治37.8.25~明治37.9.18
内容事項
出征家族援護会委員会開会/ 旅順背面ノ戦況ハ新聞ニ記載ヲ禁セラレル/ 大尉加藤氏負傷帰京/ 戦報ニ各新聞社ハ号外速報ヲ競ウ/ 遼陽占領祝捷ノ小学校生徒ノ旗行列、有志ノ提灯行列、惣勢二千五百人ヲ弐組/
出征者五嶋庄之助病気ノ由シ伝聞、妻ハ病気ニテ帰京セシ由通信有リシモ、恥シケレハ事実ヲ申出サリシニ、再三ナレハ止ヲ不得申シ上ル/ 榎本氏戦死ノ悔ニ/
津浪調査ニ当地出張ノ東京帝国大学長岡半太郎博士ノ説ニ拠レハ、相模湾海底地形ニヨリ気圧ノ感シ鋭ク纔ノ気圧ニモ感応有リ、一昨年ノ海嘯モ地震ノ故ナラスシテ気圧ノ関係ニヨル/
春亀齊丸三先師御命日ニ付御洗会ヲ開ク/ 昨夜来波響甚シ、午前六時出征者ヲ新宿町堺迄送リ帰途海岸ヲ巡視/
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第50回
2022年 11月14日 実施
資 料
明治37.7.16~明治37.8.25
担当 今宮
内容事項
午前四時弐十分入営者ヲ、六時充員招集ノ輸卒四名ヲ山王境迄送ル/
昨年度ヨリ着手ノ明治小田原町政史脱稿。/
満州冬営準備用トシテ当町ハ大麦三十一石、叺(かます)四百五、大縄二百八把ノ納付ヲ命セラレタリ/ 宮ノ下滞在英国武官ノ希望ニヨリ上下中郡警察署員其他有志者ノ撃釼柔術棒試合/ 国府津ニ陸軍少将閑院宮戴仁親王殿下出征ヲ歓送/ 補充輸卒充員招集令状ヲ授領シ交付/ 高世氏ノ件ニテ中田弁護士ニ面会/
担当 早野
明治37.6.18~明治37.7.15
内容事項
湯河原温泉行ノ傷病兵当地通過ニヨリ慰問/
国府津停車場ニテ歩兵山口源二郎氏ノ母ハ出征スル大塔氏ニ、戦地ニ於テ源二郎ニ面会モアラハ内ノ事ハ一切心配セサル様伝言、此山口ハ貧困ニシテ小田原援護会ヨリ壱ヶ月弐円ヲ支給セシニモ不拘、無教育ナル此母ニシテ此伝言アルハ、実ニ我軍連戦連捷ヲ得ル所為ナルト感銘/
故歩兵大尉従六位勲五等功四級山田雅信氏ノ葬儀会葬。自宅出棺、警部二名、儀仗兵一小隊、生造花、名旗、櫃、親族、会葬将校及兵凡百五十人、諸会葬者、前後ニ儀仗兵一小隊。式場ニテ儀仗兵小銃ノ一斉発射、楽隊ノ奏楽。了リテ新橋ヨリ乗車/
当町徴兵験査ハ壮丁合計百四十六人、甲種合格五十二人、乙種三十六人/
衛生組長会ヲナシ赤痢病発生ヲ注意/ 国府津ニ満洲総司令官大山大将、児玉大将、福島中将ノ出征ヲ歓送。停車場ニ集りシハ四千余人/
宮ノ下ニ御避暑ノ裕仁親王雍仁親王両陛下乗車の電車ハ湯本前田橋近クニテ、線路屈曲ノ個所油ヲ引キ、其油ノ為メニ車輪後方ニ滑リ背進、後続電車ニ衝突スルカト思イシニ漸々後車モ退却、地勢ハ少シ高クナリタル為メ停車シ、衝突ヲ免ル/
夫亮司ノ東京ニ書籍店ノ本日開店ニヨリ長女尾崎ヨシ東京ニ移住/
出征シ国府津午前四時三十分着ノ汽車ニ乗車ノ露木真作ニ面会、見送/
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第49回
2022年 10月24日 実施
資 料
明治37.5.17~明治37.6.17
担当 田口
内容事項
露木真作ヲ、当町出征軍人ヲ国府津停車場ニ送ル/ 吉野艦、初瀬艦沈没、驚愕ス/ 陸軍大尉山田氏死亡ノ電報/ 第二回国庫債券応募勧誘書/
英国人ビーエッチ・チャンブレン当町出征軍人家族ニ対シ毎月金弐十四円送付ヲ申出/ 当町居住シ充員招集ニ応セシ者下士以下百六人。此多数ハ貧困者ナルモ、毎月有志者ヨリ定額ノ寄送ハ金百六円余ニシテ、此少額ヲ以テハ不充分ノ救助モナシ不能。止ヲ不得極貧ノ者ニ金壱円五十銭以上金三円五十銭以下ヲ給与。/
日本赤十字社神奈川県支部予備医員湯川氏応招ヲ送ル/ 出征家族ヲ訪問/
担当 鳥越
明治37.4.15~明治37.5.16
内容事項
郡役所新築開庁/ 町会議員半数改選。二級有権者九六一、一級有権者一〇六。午前二級投票、午后壱級投票、各六名当選。予選セシ公認候補者・単独候補者競争セシモ公認候補当選/ 国債第二回払込/ 充員令状受領シ通知/ 明日出発ノ出征軍人ヲ訪問/ 九連城陥落祝捷トシテ町内ヲ凡四千余人ニテ提灯行列/ 親一当県橘樹郡農事試験場長ニ転任/ 軍用鑵詰製造所ハ当町漁商組合ノ事業トシテ製造開始/ 郵便電信局落成開局/
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第48回
2022年 10月10日 実施
資 料
日露戦争時の国庫債券募集について
日露戦争時の小田原町国債券応募者表
明治37.3.16~明治37.4.15
担当 雨宮
内容事項
両殿下大稲荷神社に御参拝の途高齢者に御菓子を賜る/
御用邸に御避寒之両宮殿下、帰京に付、国府津停車場に奉送す。町長他四名は東京御殿道奉送せり。国府津迄奉送人凡そ六十人あり/
女子部補修学校入学勧誘之為め各家を訪問/
町議会で助役に再選/ 小田原出征家族援護会と改称/ 出征軍人家族六戸に扶助料を分付/
今回国庫債券応募は本町居住者総計金拾五万四千円にて個人の応募已にて十万円に達せり/
天然痘発生に付患家を視察し避病院に患者を収容し開院する/
担当 大井
明治37.2.9~明治37.3.16
内容事項
旅順砲撃之風聞あり、今朝の新聞により確実となる(日露戦争開戦)/
九日以来の戦況、警察署より到着に付、役場前に掲示す/ 出征軍人家族を慰問/
学校生徒一同、御用邸に参邸。先年殿下より賜たる愛国唱歌を謡唄/ 国債募集勧誘/
出征軍人家族扶助費出金/
当町出征軍人家族扶助費に大久保子爵より金弐百円寄付。両宮殿下より金参拾円御下賜/ 役場にて衆議院議員投票を開票/ 出征軍人扶助委員会を開く/
近衛第一師団全郡充員は弐百七十三人、徴馬百五十三頭/
当町避病院事務室死体室建築の入札/
出征軍人家族を訪問し、両殿下より下賜其他壱名に付金壱円つゝを分配/
征途軍人三十名及見送り人一同松原神社に参集、国府津停車場迄見送る。郡各村より集リたる出征軍人及見送り人三・四千人に達す/
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第47回
2022年 9月26日 実施
資 料
明治37.1.1~明治37.2.9
担当 別生
内容事項
人車鉄道に乗り親一同行吉浜開墾地に出張視察/
両宮殿下御迎えとして町長出京。国府津停車場に奉迎。御機嫌として御用邸に伺候/
松原神社神輿渡御あり韓国皇太后の為宮中喪中に付御用邸には渡御なし/
板橋水車事件郡役所に出頭板橋村長等と会談/
静岡県七郡連合開催柑橘品評会を縦覧。庵原袖師柑橘園を視察/
軍友会総会に出席。隠岐陸軍少将を始予後備佐尉官の演説あり/ 弘道会信用組合定会出席/
充員令状交付を伝聞直に町役場に出勤午后七時十五分海軍充員招集令状五枚を受領し七時五十分ニ交付了修し、午后九時十五分近衛師団充員招集令状十九枚を受領し十時四十分各自ニ交付了修ス/
午前0時五十五分第一師団充員招集令状九枚を受領し午前二時十五分各自に交付了修し。午前四時四十分第七師団充員招集令状一枚を受領し午前五時五十分交付を了修退出す/
昨夜来軍国事務繁忙の旨に依り御用邸御滞在両宮殿下より郡役所及び当町役場に御菓子五箱を賜り/
小峰に於て軍友会員予後備及補充兵は送別会を開く。当地居住後備陸軍少将隠岐重節氏は時局接迫の為熊本留守旅団長として午后二時発進せられ停車場迄見送り/
本日出発の充員三名を国府津停車場迄見送り/
各区長を招集し出征軍人遺族扶助の協議をなし、委員を選挙/
担当 居原田
明治36.11.29~明治37.1.1
内容事項
蜜柑採収を見回る/
郡会で防波堤建設費補助金一千万円請願協議。町会で防波堤設計変更の決議。/
親一の長男誕生。龍夫と命名/
監獄支署敷地売買契約結了。谷津新光明寺と高長寺之中間に撰定/
日露問題も平和の傾向何となく変調来たす。役場是に対し働員令に付注意/
町会議員協議会にて箱根電水会社と当町の契約を解除の議を可決/
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第46回
2022年 9月12日 実施
資 料
足柄紳士録
明治時代、小田原の商家
百家名鑑(小田原分)
明治36.10.28~明治36.11.28
担当 青木
内容事項
辻村氏御洗出席。桒嶋氏出張に付御洗を開席/
従来神奈川県郡部は政友会の地盤にて、県会議員も政友会員多数で驕暴の所行多く、悪徳を極め、今回の選挙に際し県政刷新を称道するに至り、刷新派に属する議員(政進両派)郡部に半数を得た。/ 蜜柑を東京に出荷/ 代官町防波堤石垣出来見分/
新聞紙報道では日露交渉も平和に傾きあり/
中将範茂卿神社建設に付首唱の同意を乞れ賛成の調印/
辻村泰兄氏より借覧の明治三、四年の御用留返却。柳川久次郎氏に慶応年間の助郷の事情を、久保田義敬氏に維新前後の経歴談を聞く/
板橋水道決潰事件は更に名古屋控訴院に移された/ 下郡教育会評議員会を開く/
師団機働演習に付準備の為最乗寺より借入の蒲団四百枚来着。舎営司令来着し、総員二千五百四十余人宿舎を割当る。軍隊の到着は夜に入りたれば宿舎の案内は軍友会々員にて引受ける。/
第二中学校(小田原)建築費寄付の賞として木杯八十、褒状三百六十を県庁より授領配付す/
担当 府川
明治36.9.30~明治36.10.28
内容事項
市中に散在せし娼妓貸座敷は移転工事落成し指定地に移転した。遊郭地を初音新地と命名/
吉田義方氏などから明治初年の町政の模様を、関重麿氏から小学校基本金の由来を、戸沢政恒氏などから明治初年之学校談・沿革談を聞く。終日家で町史財料の取調をなす/
在郷軍人の小田原軍友会発会式/ 監獄署移転予定地を巡る/ 丸三先師命日に付御洗開席/
県庁に海岸防波堤補助費請願の主旨陳情/ 防波堤築造を巡視/
警察署・消防組頭同行、各部消防組機具の点見/
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第45回
2022年 8月22日 実施
資 料
明治36.9.2~明治36.9.30
担当 松島
内容事項
波濤大きく高潮時午前四時海岸巡視し格別の事無し。 嬉しく感じたるは防波堤出来住民安 眠の様子なり。町会にて海岸防波堤千百七十九間三分、築造費金三万七百四十六円二十三銭の八分を地方税より補助の請願を議決/
環翠楼での箱根湖水引用事件調停式に出席。式場に箱根神社の祭壇を設け、神奈川・静岡両県知事など着席、調停者貴族院議員冨田鉄之助氏、両水理組合管理者ハ神壇に進みて両管理者は調停応諾の主旨を衆員に告げる。近来渇水の為引水せんとし訴訟を起こし、十分の一の引量を早川筋に引水するの約を以て調停/
宮ノ下滞在の皇孫殿下帰京に付役場前にて奉迎/ 県会議員選挙。当町有権者三百八十八人/ 郡会議員選挙/
担当 大井
明治36.7.31~明治36.9.1
内容事項
応急防波堤落成に付見分に出張/ 足柄下郡教育会発会式にて拙者幹事に当選/
第二中学校長吉田庫三(吉田松陰の嗣子と云う(甥で吉田家を再興し11代となる))は公事に不徳の行為あり名誉会員選挙を退席。/
第十四区、第十三区などの各区の教育支会発会式に出席/
防波堤の件で代官町、千度小路等の委員と会合。 拙者は防波堤工事に特別尽力ありと昼食を供された。郡長の堤防工事巡視に同行/
桜馬場蜜柑園の見回り/ 農商務省大臣杉浦圭吾が水産講習所視察/
足柄下郡教育会講習会終了証書授与式出席/ 町会終了後県会議員候補者を協議/
役場書類は紛雑極め町史編纂を思い立ち調査に着手/
芝増上寺上人の昨年海嘯水死者追弔法要/
防波堤設計委員会第一回開く/
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第44回
2022年 8月 8日 実施
資 料
明治36.6.18~明治36.7.31
担当 今宮
キーワード
御帰京の周宮常宮殿下国府津御通過に付送迎/ 相模日報発刊式出席/
人車鉄道満員のため一泊/ 翌朝真鶴港発気船に乗り小田原に着岸出勤/
担当 田口
明治36.5.8~明治36.6.18
キーワード
県土木官 吏遊廓移転地見分/ 千葉県派遣勧業視察員を桜馬場柑橘園に案内/
万年町防波堤築造を巡見/ 常宮周宮両殿下大坂博覧会に御成に付国府津停車場に送迎/
赤痢発生に付避病院開設/ 飯田氏御洗席出席/ 桜馬場柑橘園にて施肥指揮/
徴兵抽籤執行の視察として師団長東伏見宮殿下当町に来着/
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